過剰なまでにウンコなどの出もの腫れ物を嫌う世相

朝食を食べなくなった原点

いつのまにか、1日2食が定着していますが、その原点を振り返ってみた時に学園での腹痛の我慢が発端になっていたのを思い出しました。

一番最初の動機は健康やプチ断食とは、かけ離れた極めて切実な事情からのスタートでした。

家では大手を振って大便を放出するのに、一転して学園内においては誰かが大便をするときに特別天然記念物を観察するように話題となりました。

中にはエスカレートして、神聖な行為をしている時に下の隙間からモップを突っ込んでシャコシャコと動かして爆笑するような人権侵害が手を変え品を変えて繰り広げられていました。

そういった極度な特殊な空間を化した現場では、いつ自分が生贄にされてしまうのだろうか?という強迫観念が押し寄せ、まるで我慢大会のように便意を堪えながら、いかに音を出さないようにガス抜きするかの訓練を続けるのでした。

学園のマドンナが落ちた地獄絵図

公私ともに人気を博していた学園内でもトップクラスのマドンナがいました。末はアイドルか御曹司との玉の輿かと噂される存在だった人物に神は試練を与えたのです。

小春日和のそよ風が吹く午後の授業中のことでした。嗅いだことがあって嗅いだことがないような異臭に勘づき、ある者は犬のように鼻を荒くして犯人を探し始めてキョロキョロしだしました。

ふとマドンナの表情を見ると、小刻みに震えるような仕草をし、青ざめたような肌の色と、苦悶の表情を浮かべていることに気付きました。マドンナの至近にいた友達の女子は「大丈夫?」みたいに話しかけているように見えました。

怖くて有名な教師の静まり返った教室に静寂を破る擬音が響きわたりました。「ぷぴイツー!ブリバリブビイツヒー!」最初、何事が起こったのかという目線が音の方向に集中し、一瞬遅れたタイミングで腐臭が立ち込め、怒号やら歓声やら悲鳴やらが混ざったカオスと廊下へと逃げ出す流れになりました。

いま思えば悲惨な話しでしたけど、マスクをつけて教師と一緒に片づけた惨劇と翌日以降も臭いが残り続け、トップから最下層へと転落してしまった元マドンナの姿は恐怖でしかなく、いかに一日耐えきるか、食事にも気をつけ、出し切るまでは遅刻も辞さないというパターンに変化したのを懐かしく思います。

欧米文化が洗練されてウンコを嫌うようになった

日本だって江戸時代までは糞便を売り買いしていたわけですし、東南アジアのほうでは汲み取り式のような便所に豚が待機していて喜んで食べに来るわけです。

中国だって、しきりもないし、普通に側溝で堂々としていたわけです。

ある意味平等で偏見の無い世界だったんですね。

ヨーロッパもかつてはパリでさえウンコまみれと腐臭で、それが原因で伝染病が起きたという背景から最初は衛生目的で水洗化などの処理方法へ移行していきました。

それが日本へ伝わりカスタマイズされて、文化も風潮も一人歩きして肥大化かし臭いすらもカットするサプリまで開発されたのです。

キラキラな反面、暮らしにくいのは、こういった世相を反映してるのかなと思いますし、一転して被災したときに、恵まれてる状況なのに地獄と感じてしまうことにもつながっていくんですね。

原点を振り返るための唄

そう体の中にさっきまであって、出たとたんに嫌われる存在になるというパターン。

うんこ ‐ 森山直太朗

よくあるシチュエーションの歌

へーこき左衛門ぷぅの介

現代版の魔女狩りから早く次元上昇を遂げなければならないと大変ですね。

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