運とは一体なにか?運について考えと見解

変幻自在で実体も分からず現在過去未来のどこにでも出現する

科学で明確に運という存在の姿を捉えることは現状ではまったく追いついていないと思っています。

体感としての運を語らせていただきますと、運というのは変幻自在に変化をするものであり、エネルギーの強弱もまったくランダムであるような印象でもあります。

幸運と不運と分けているように、どっちにも変化するという印象もあります。因果というように、貯まっていくような働きもし、まったく兆候もなくいきなり吹き出したり、降ってきたり、風のように吹いてきたりと、一様では捉えることが出来ない、あらゆる動きをする印象もあります。

生死流転と付随しながら、時空を飛び越えて来たり、もしくは、まったく違う銀河や惑星の引力やら太陽エネルギーとして届くものや素粒子にまで姿を変えて影響してくるんじゃないかとさえ印象としては持ってます。

自然の森羅万象に畏敬を抱き人は時には神と言ったり仏とも形容する存在にもなる運

確たる実体としての本尊のような定型の場所にあるものとは違うのですが、山体を崇拝し畏敬の念を抱くような文化というものがありますけど、そのどの名称にも運はなりえるし、世界中のあらゆる場所に同時多発的に現れる存在と言いましょうか、瞬間的にも現れる存在でもあり、それが実際の行動面にも影響し運が良いとか悪いとかの印象として見えるのではないかと思います。

運の残像といいましょうか、善か悪のようなエネルギーの種類としてみることだけは可能な感じなんですね。

運の集まる場所や法則性はあると分かった

水や空気が無いと人は生きていけませんが、運はさらに本源的で最上域の部分での決済を行っているようにも思います。

全ての森羅万象、全ての生物の一挙手一投足にも付随して、瞬間的に沸き起こる感情やイマジネーションの全てのところに付随しているように思います。

そして、パワースポットと言われるところに行くと運気が上がると言われるように、エネルギーの集積地のような場所があるんですね。

本物の風水というのは、自然の条件や形状で龍脈と言われるパワーが集まる条件を表しましたが、たしかにそういった法則性はあると思います。

全てを表しきったとは言えないかもしれませんし、古代風水学の書物はかなり燃やされてしまったらしいので、未知だったことも多く、口伝などで伝え残ったものの中から効果の高いものを知ってるだけなのかもしれません。

生誕によっても差が大きいのが運という存在

遺伝とはいいますが、生まれてくる場所までは記憶も無いし、そこは分からないということになってますが、生誕での運のデータベースをよく表してるのが四柱推命となります。

四柱推命を学習すると、大きな動きをして良い時期と悪い時期が分かるため、運に逆らうことなく行動に移す場合に、その法則を使います。

この動きをするのが、効果が高いと言われております。風水の技法は多岐に渡りますが、人によっても効果の違いがあったり正確に風水を整えるかでも違いが出てくるのです。

誰か計測したか定かではありませんが、平均すると30%程度の影響が出るようなことも聞いたことがありますが、100%に限りなく近いような効果が出る技法だってあったのかもしれませんし、実はあるのかもしれないです。

どちらにしても科学では解明出来てない運気を、一番科学的に膨大なデーターから法則を編み出した四柱推命と本物の風水は運を味方にする上では信頼できるのかなと思っています。

運はマインドでも変わるし引き寄せるのも可能

魔法のような話しかもしれませんが、マインドを大きく変化させて定着させることが出来れば、違う人生になってしまうくらいに変わるというのはあると思います。

ほとんどの人は悪い癖を繰り返したり元通りになってしまって、結果も同じになるというパターンが実に多いのかなと思います。

マインドは環境や付き合う人間、触れる思想で驚くほど影響を受けますので、引っ越して人脈も一層したりすると、けっこう変化してしまうのは事実だったりもします。

引き寄せに関しては強力なまでのイメージが鍵を握る印象で、絶体絶命の時の火事場のクソ力的なマインドで奇跡が起こるというケースってあります。

意図的に作り出す場合は断食とか登山とかの苦しい体験とかで、そのまま感じた空腹での強烈なイメージが引き寄せたりする印象です。

いずれにせよ、実体は見えませんが、運気が最上層部にいて決済を下すとみていまして、味方に付けると1%の努力で99%の力を発揮するような印象もあります。奇跡です。

その1%の努力というのが運を調整する法則を活用したり、パワースポットで運気を貯めるということかと思います。あとは周りがドラマのストーリーのように良い展開が自然な形で展開されるイメージがあります。

運は清潔なところと綺麗な見かけも好むようであり時代でも変化する

トイレの神様であるとか清潔に保つと運気が上がるというのは本当だと思います。ゴミ屋敷というのはマインドを病んでる姿でもあり、法則に照らすと運を敵に回すということでもあります。

こんなことはないでしょうか、時代でも違うんでしょうけど、容姿が時代に好まれていたりすると、チヤホヤされるし、財物をどんどん与えられるという現象があります。

けれども運は慈悲を持ち合わせており、恵まれすぎてる者は努力する気持ちが薄まり、恵まれない者は必至に努力をするような流れが起こります。

中には全部得る人もいるように見えますけど、容姿は優れていても、とんでもないアクシデントに見舞われたことで努力をするようになる人もいます。これは鬼に金棒ですが、万能感で天狗になると鉄槌が下るような法則もあります。

私は「どん底」を体験した長い期間に、恵まれすぎてる者と接し、見てきた印象ですが、破格な格差で努力をしなくなる現象になっていき、学習もせず、人の話しも聞かなくなるのを目にしてきました。

時は流れて努力も学習も反省もないモンスターとなり、誰も相手をしなくなっていきました。得ることが当たり前だったので感謝も出来なければ、相手の苦労もまったく知らず、モンスターになってしまった自分は見えずに相手を下に見ながら生きる裸の王様になってしまいました。

こういった現象をみると運は公平な決済を下してる慈悲のあるエネルギー体であるということが分かりました。

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