貨幣価値を一番におく失敗と真実の願望と本質を思い出せ

価値観の順番を間違えてはいけない

貨幣の価値感を上層部に持ってくる危険を感じています。本来の願望や本質があるにもかかわらず、金毒がせり出してきたり、思考に見え隠れするようになるということが起こってくると根本的なゴールを見失うことになりかねないと感じています。

貨幣というのはツールであるって改めておもいました。誰が作ったか、人間界でしか流通していないわけですし、長い歴史でみたら近来のことであるわけです。

奴隷の文化でも分かるとおり、貴族のディープステートが楽をするために作り上げたシステムが源流にあることが見え隠れします。

平和で健康的に暮らせていれば幸せであるところに黒い霧が立ち込めているのです。貧富の差がまかり通り、富を持ってるものが偉いような錯覚と世論のようなものがはびこるようになりました。

まったくもって逆で支柱を支えるものが一番大事なのであり、支柱や土台が無いところには立派なものが立たないというのが本来の原理ではないのだろうかと思います。

欲望は本能であるけどコントロールが必要

欲望って無いものねだりから来てるんだなって改めて思い、最近の自身の投稿なんかを見ても首を横に振ってそうじゃないだろう?と自問自答することもあります。

最低限、生活する費用というのはかかります。あたらしくネットで収入の柱を構築しないといけない場面に立たせれているために、情報を収集する訳ですが、圧倒的に「金が一番」という価値観が非常に多いんですね。

これってリアルな生活だと隠れて出てこない部分だったりするんですけど、ネットだとモロにこの価値観が最上域に停滞し、そこからトリクルダウンするように広がりを見せているなと感じており、情報に触れているうちに影響を受けていることに気付いたりする訳です。

無いものねだりの願望というのは分かりやすくて、生活が苦しい人は裕福になりたがり、恋愛も結婚も健康も、無いものを欲する構図というものがあります。

最初から備わってるものには残念ながら有り難みや感謝が薄れてしまうのも人間の悪いところなんですが、ここでちょっと待てよ?と立ち止まって欲しいのです。

どれも大切ではあるのですが、貨幣というものだけがツールだという事実が隠れていて、これを得るのがゴール地点ではないはずなんですね。だけど、この幻想にやられて本質を見失いがちになるんです。

貨幣を得ることや地位を得ることフォローしてもらって有名になったような感覚を得ることが本質ではなかったはずでは?と振り返ることが重要なんですね。

本質を思い出してゴール地点の設定を改める

ゴール地点が貨幣を得るという幻に設定してしまうと逆に不幸になるケースだって多く、宝クジで一等を当てるという千載一遇のチャンスを得てもゴール地点がそこであることで、当てる前よりも大変な生活になるパターンになります。

自身の目指す本質がゴール地点になっていれば、あくまでツールとしての到達点として、感謝して活用していったら問題ないはずなんです。

有り余る貨幣を得れば幸福になれるなんて幻想は捨てたほうが良いですね、そこを起点として違った種類の不幸が発生するリスクが高まるからなんです。

そのときになって、「お金は無かったけど楽しかったし目指す充実感があった」と後悔するケースだってあります。でもこれは一つの事象であって、ゴール地点を誤ったことでの後悔のため、そこを改めていかなければ永遠に幸福は訪れることはないんです。

資本主義の本質や平等からずれてきている現実

昨今の世の中を見ていて、ずいぶんと歪んだ貧富の構造になったなって思います。本来は違うはずなんですけど、貧富の差が開き続けており、生活する上で貨幣が最低限は必要になるため、そこに阿鼻叫喚が発生してしまっています。

一つの街が存在すれば、そこで経済が循環して中流の生活が成り立つというのが本来の姿だったはずなんです。ゴーストタウンのように疲弊してしまった街と富を吸い上げる大きなシステムの両極端な姿、そして便利になっているのに貧困が大幅に増えた現実、何かがおかしい?

街には商店街といろんな職種の人が存在し、それぞれが補いあって街全体で循環していました。必要なものを買って、必要なサービスを逆に提供してもらい、今思えば、少しばかりの贅沢が出来てライフイベントを普通にこなせる中流の生活、胸を張って頑張ってると報われる、お互いに安いだけの部分ではなく困ったときには助け合うことも出来た事は、ある意味では文句もたしかにあっても素敵なことだったのかもしれません。。。

ところが、いつからか、安いものを頂点にして、新しい施設ができれば地域を捨てて、金を関係のないところへ落とすようになり、レビュー至上となってからは、極端に集中と選択が進み莫大な貧富へとつながりました。黒船チェーンに使った資金は国外へと流出してしまう原理を考えずに消費をしてしまい、だんだんとそういった考えが浸透して現在の姿になりました。

わたしも、ネットショッピング依存症のときにレビューを参考にしたことがありましたけど、当時は当てにならないことが多かったですね、けっきょくは宣伝してる店が儲かってる状況なんですね。売れないところでも良い場所は沢山ありました。

すでに得ている幸せを大事にしていく

まだ現在は節約をしないと厳しい状況のため、ネットでも厳選しなければいきませんが、リアルでは一番近いような個人の店で買うことを心がけてはいます。店にもよるのですが、一元的な価格だけでは図れないメリットがあるんですね。

もちろん私も価値を提供しています。お互いに補完できる関係を築くことも可能なんです。

楽に簡単に貨幣を得るような人もいますけど、私なんかは得意じゃないし、物であってもけっきょくは買うものであれば一緒だと思う部分もあるわけです。

ときおり有償じゃないと出来ないような頼まれ事もありますけど、物とか食料でもいいよと言ってます。でも生活厳しいから気持ちだけ寄付してもらえたら嬉しいとなと思う節はあります。

金銭や貨幣の価値の暗雲に覆われて本来すすむべき進路に迷ったときには、いま一度、本当の目的を思い返しながら自問して軌道修正を図っていく、実はこれが目的地に一番早く辿り着く方策なのかもしれません。

移住を果たしたということは、私にとっては十分に価値があるということなんだということをいいきかせてます。もっと早く移住も可能でしたが、運の知識を付けるのには地獄を経験するプロセスが必要だったのかもしれないですけど。。。

タイトルとURLをコピーしました