負のマインドの代表者のような人物と関わるとマインドも運もボロボロになる

偶然の出会いもどん底とは関係していた

大凶方位と大凶物件へ越したときに、負のマインドの代表者のような人物とも出会ってしまいました。今思うとさらに災厄が強まりマインドがいっこうに改善しない流れまでもが構築されていたんだと思います。

その土地に住む者で最初はマイルドな印象の好人物に見えたのですが、沢山の問題を抱えていました。

いわゆるイジメられるのを経験しており、数十年も前のことを執拗に覚えており、いつも妄想で仕返しすることを日課にしている人物でした。

私は最初、話しを聞く中で、社会参加も一切せずに家族のことも悪く言って、「自分は世界で一番不幸」という人物に同情をして、行動を共にするようになりました。

なんとか人生を好転させる方向に持って行かせたいという思いで接していました。

優しくしていたらタカるようになっていった人物

一緒に食事をすると財布を忘れたということが増えていきました。それでもけっこうな期間は奢っていました。

ある日、その人物の財布に万札が数枚みえました。そのことを指摘すると、万札は崩すと減るからというような答えでした。それほどリッチでもない私がなぜ私より金を持ってる人物に奢らないといけないのか?

という疑問が沸いたときに、一度も「ご馳走様でした」というお礼が無かったことや、お返しの一つも無かったことを急に気になりだしました。

それまでの時点では先輩からされたことを還元してるだけという理由でやってましたが、だんだんと態度が変になったり生活をいっこうに改善しないことに腹が立ってきて、そこで施すことは為にならないと思い辞めるようになりました。

負のマインドの代表者の口癖や行動

日常の事から、相当な昔の分岐点まで戻って「あの時、こうしておけば良かった。。。失敗したなア。。。」口癖のように出てくるわけです。

過去には戻れないし、そんな発言するなら、しっかりやれよという話しで気が滅入るし腹も立ってくるわけです。こんなネガティブな発言を聞いていたら伝染しますよ。

私も頭に来たことを話したりすると、その人物は顔を赤くして笑い嘲る癖を持っていました。私は起こったことを報告してるだけに過ぎないのですが、その人物にとっては私の行動も出てくる人物の話しの両方が嘲笑の対象としているわけなんです。

そういった話しが、その人物の家族内でもネタにされていて、嘲る本人は立場が上のところに自分の存在を持っていってるということをされていました。

それから、見られているとか睨まれているという発言もあり、とんでもない妄想だと思って、よく巡回しているという大型スーパーに一緒に入ると、たしかに、その人物が店に入った瞬間に店員達が怪訝そうに怒りを含んだ表情でみているんですね。

大型店で一人の人間に集中するなんて普通は無いですから、どれだけ普段、挙動不審な態度を店で取ってるかを私は想像しました。恥ずかしくて、そこの店には行けないくらいでした。

同じ穴のムジナと周りからは見られていた

私は、そこの家族からも「自分たちでは面倒みきれないので助かります。これからもお願いします。」と言われたのもあって付き合いを継続してきました。

思わぬ誤算があり、私の味方のように振る舞っていた、その家族も、その人物からネタに仕上げて、関係者たちに吹聴して回っていたことが分かりました。

いつのまにか私の監督不往き届きのレッテルと私のほうが、その人物よりも危険であるという風に見られるようになっていたのです。

裏切られた気持ちやら、信用を回復していくのに大変な日数を要しました。

負のマインドを持った人物とは関わったら全てが駄目になる

因果の鉄槌が下りました。私にも下りましたし、その人物は猛烈なほどの鉄槌が下ってしまいました。よく生きていたというほどのものでした。

お見舞いやリハビリなど付き添いましたけど、期待していた復活劇とは違い元通りになっていきました。

そうして、合う頻度が減っていくと、マインドの差が広がっていき話しがまったくかみ合わずに縁が切れていきました。

関わる時間、エネルギー、マインドの浸食、相手は因果でもっと悪くなり、なんだったのか?という長い格闘の年月と結果が残りました。

気づかせるための本質の雷を放ち、すぐに離れるというのが一人立ちするきっかけを作るには良いと思います。学ばせるという発想ではなく、そういうマインドで過ごしているから悪い結果になったという事に気づく学びが因果で起こってきますので、それを待てば良かったのです。

初めて現実を直視し、そこで本質の言葉を身で分かるようになり、自分で考え行動を起こして回答を知るんですね。

少し言って変わるのは根深いものではなく、凝り固まった頑固なガン細胞のようなエネルギー核が変わるには大幅なインパクトが必要となるのです。

人はそれを災難といい不運ともいい艱難辛苦とも表現します。

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