自己中心的な自己愛が一凶と分かる乗り越えて変わる

自分の欲求を優先せずに大切な人の気持ちを優先できてるかの割合が重要

自分が自分がと思う心が肥大化し過ぎると間違いや不幸を招いてしまいがちでありますし、もし繰り返してしまう悪い結果があれば、自己愛(自己中心主義、過剰な自己防衛、被害妄想、主人公だと錯覚)が強すぎるからです。

今回のテーマは、非常に難しい人には難しく、出来てる人は出来ています。すべて根本的に物事の見方を変えてしまう、人としての革命にあたります。

いろんな依存症に陥って「自分は糞だ、親不孝だ」と言ってる人もいるけど、いっこうに抜け出せずに、また同じ繰り返しをします。私はなぜなのか?を最終的に運を中心に考えていましたが、マインドの部分もかなり占めていると思うように再度なりました。

私も苦境に陥る中で色々と改善を図ってきまして、厳格なルールのようなものを築いて対処したり環境を変えてみたりしましたが、経済的な「どん底」から節約をしていっても抜け出せずに、運に頼るしかないと思っていたんですが、ついに追い込まれた中で重要なことに気付いたのです。

判断の基準に大切な人達の気持ちを汲めているのかを考えるとだいぶ変わる

私はお土産を持参したり、お返しをするのを礼儀として行っていた部分が大きかったんだと思いました。たしかに、それでも貰いっぱなしよりは良いことかもしれませんが、金を返したりするのは物理的に無理でしたし、儀礼的に返していてマインドがこもってなかったんだって気付きました。

ギャンブルを辞められないことで、家族を泣かせて、それでも借金をして繰り返して「悲劇のヒロイン」になってる構図をよく見ますけど、「自分は糞だ、自分が原因で親に迷惑をかけて最低だ」と言ってるけど、また泣かすのを繰り返してますよね。

それはなぜか?大切な家族が切にギャンブルを辞めて欲しいという気持ちを無視しているんですね自分の欲求を最第一に考えてる紛れもない証明なんです。勝てるようになって親孝行するとか偽善者の様に格好つけていても、そんな日は永遠に訪れることはなく、家族全員を奈落の底へと突き落とす所業を積み重ねるという重罪を犯すだけなんです。

万万が一、それで勝っても、そのことえを正直に告げて喜ぶんですか?という話しでもあるんです。道の選択を間違えるということは、自分は自業自得で済むけれど、それに泣き続ける人が必ず周りに出るんですね。

まずは大切な泣いてる人の声を真剣に聞いて「思いやる」という「思いやり」に欠けて自分本位が肥大化してることが繰り返す不幸の根本的な原因なんですね。

だから必ず大事な決断をする際や、特に繰り返してる不幸に関しては間違いなく、ここを自分本位から相手を思いやるに変えることが活路になります。

過去を振り返り失敗した人間関係も歩み寄っていただけで解決していたケースがほとんど

自己愛VS自己愛で離縁してしまいます。友人関係も職場の人間関係や近所付き合いもそうだし、愛して一緒になったような結婚でさえ寂しい結末を迎えることになります。そういった方程式みたいな感じもあるんです。

家族のような究極的な関係でないと簡単に崩壊し、自己愛が強い人には言うことを素直に聞く人がついてきますが、いずれ崩壊する関係と言えます。

世間には自己中心では良くないという言葉が溢れてもいますけど、相手のためだと思ってやってる事も自分に有利な考えでやってるうちは結果にならないんですね。

ここを突破し本質が見えたときに、この世の最も美しい部分に気付くはずです。なにげなく道徳でならっている「思いやり」が本当に分かるときが来ると見えていた今までの視点ががらっと変わり、怒ったり憎んだりが基本的に無くなってくるんですね、人として一番美しい部分が鮮明に分かることで、大半のことが感謝へと上昇を始め、悲劇のヒロインではもうなくなっています。

自己愛を出さずにコントロールする修行が必要

本質が分かるだけでも大きな収穫でして、自分の感情などの瞬間的な部分をコントロールできるまでは時間を要すると思います。けれども、第三者を見た場合、この法則の本質が分かってると、相手の腹の内を見抜けたり、なぜ間違いを繰り返してるかが分かるようになります。

あえて自分に言い聞かせる意味でも強めの言い回しになってますけど、私自身やっとスタートラインに立てた所だと思っています。

少し考えたり持ち帰った事に対して改善する場合や長年悩んだりしてることに対しては大きな結果を出すことと思います。

あとは瞬間的な感情の発露をコミュニケーションの上でも大事となるため、そこが定着し本物の、ガンジーのように一貫した不動のマインドになるのは、なかなかに大変な道のりかと思ってはいます。

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