機会損失を生成し続ける屈折した美学は改めたほうが良い

過去の自分まま生き続けることが機会損失を作り出していた

資産が桁違いの富裕層が「ドッグフードを主食にして節約」というエピソードを聞いて、こういう話は意外と多いなと思った。

富裕層からすれば飲食に費やす金額というのは、何を買っても微々たる金額にしかならない。

ずっとやってきたルーティンをカテゴリーが変化してもやりつづけ、資産が増えることだけが目的になっているのだろう。

投資でタワマンに住む富裕層もタワマンは下に降りるまで時間がかかるなどの理由があるのか?カップ麺を買い込んでひたすらそれを食べての生活模様のようだ。

理由なんてものは後付けで、いかに自分がしっくりくるルーティンをやり続けることには内容はいくらでも変わるのかもしれない。

非常にこういう話を聞くと機会損失の典型だなと思ってしまう。

押し入れにしまい込んだ断捨離できない物と同じような状態を金銭でもやっているようなもので循環していないことになる。

人はいつ死ぬかなんて分からないんだけれども、永遠に同じ日々が続くと錯覚している。

ちなみに食事内容も衣服も雑貨も工夫をすれば金額もかからないし、特に初めて会う人に余計なイメージをさせないで済む。

人は特に初めては目につく情報から勝手に連想し、自分が培ってきた価値観から勝手なストーリーを作り出す。

なので、所見で余計な心配をかけるイメージを持たさないことも重要になる。

来客にも「ドッグフードを振舞う」という部分で美学にまで昇格させており、そういった偏屈した方程式が多方面にある可能性も高いです。

浮上できてない状態とか貧乏が悪いわけではなく、手放せていないのが病理であり、富裕層というカテゴリーにいるのにもかかわらず、貧乏よりも貧乏な生活をしているということなんです。

人間が持つ欲、癖、修正できないと地獄にいるような状態になります。

人生というのはバランスかなと思いました。節約や技術は頑張れば身について向上する誰もに公平感のある方法ですが、それも屈折した美学にまで行ってしまうと弊害をもたらしてしまいます。

一定の収入があるとしても、ギャンブルをやり、家で飲むと安い酒を一番高い店で飲み、タバコをふかして、一日に何回もコンビニや自動販売機に費やしていたら借金生活になります。

これは低収入とか関係なく、一流企業の寮に住み福利厚生で圧倒的に生活基本費用が安い人物も借金地獄に陥って車も手放しても足りないのを見てきたので、単純な話でもありません。

店のグレードが上がったり贅沢になるだけのようです。贅沢した分だけ人間は満足できなくなるようで、高い方へエスカレートする傾向もあるようです。

特別なんて言いますが、同じ焼酎で金額だけ違うだけのケースを想像すると分かるんですが、グラスが変わっただけで中身はまったく同じなのに何十倍も高くなり、高級感や特別という錯覚に満足しているだけなんです。

同じ品質であれば一番安いのが買えれば、見方を変えたら差額が収入であると感じることだってできるんですね。浮いた分を生かし続けるしか本質的なところは無いと思います。

ちょっとした見栄で金欠になって、食べるのは「もやし炒めで節約」だと根本が違うでしょうし、健康だって害すような事にもなったりします。

そういう意味では健康に良い品を選定し、同じ商品で一番安い金額で購入する努力を行い、そして体を壊さない食事量にするなどの流れを作るのが良く、余計に食べない分と安く買えた分で上質な物を購入しているのにも関わらず金銭的な負担も少なくなったりします。

その上で健康という財産が築かれるわけですから損が無いんですね。

小食断食で運が上がるというのも補足情報とします。不足すると得た時に感謝と満足度が高くなるので、それが運を高めるんだと分かります。感謝することは運を上げる重要項目なので該当しています。

逆に嫌ってほど余りあると「見たくも無い」とかの贅沢な思考になり運を落とします。見たくても見れない転落状態へと実際になっていく場合もあります。