日常も人生も突然変わる恐怖の隣人による厄災

記憶というものは時間が経つことで薄まっていき、地獄のような日々さえもネタに出来るというのは、人間とっては重要なメリットの一つだと思います。

やはり人災は色々ありますけれど、睡眠をとりプライベートな生活を送る近所がもっとも重要になってくるかと思います。

いまこそ記憶も薄まりましたが、地獄のような日々でした。まだ運の存在も風水も何も知らなかった時の話です。

外も地獄、帰宅しても地獄、そんな時が自分にもありました。

空き家だった隣家に一家が越してきて、越してきた当日に「隣のよしみで、お金を貸して欲しい」と言われました;

それから郵便物なども含めて外に置いていたものが、どんどん無くなっていきました。。

ある日、そこの家に訪ねていくと、なぜか自分のところにあったものが陳列されていて、

聞いても元から所有していたと言われました。

それからも不審な事は続き、タイヤに穴が開いていたり、消防車や救急車も来ました。

出前も大量に届いたこともあり、その上に、知人の家にも出前が届き、それが私がやっていたという噂まで流されたのです。

そして私の家も含めて空き巣被害が頻発し、嫌疑もかけられました。

ある日、一部始終を証拠に納めて濡れ衣を晴らす機会が訪れました。

ずっとそういう事が続く中で、自分の方の事業はどんどん良くなり、危険な隣人の家は没落して夜逃げしていきました。

それからは何事も無かったように、それこそ物足りないと錯覚するくらいの日々に、「これが普通なのか?」と思ったくらいでした。

おそらくはかなりメンタル面などに影響が及んだと思います。あれが無かったとしたら全然違う人生だった可能性もおおいにあったのかもしれません。

ソーシャルディスタンスという意味ではヨーロッパのように隣家と距離があるほうが良いと私は思っています。

たぶんですが、あの経験が無かったらあまり意識しないと思うのですが、それだけ近所というのは角が立つものであると考えてしまいます。

視界に入る範囲というのは、どうしても気になるもので、自然と意識が行くわけで、そこを解消する手段は家族同然の付き合いをする程の仲を保つしか無いような気がします。