断食と引き寄せの鍵はイメージ力で健康には良い

気づいたらずっとプチ断食をしていた

相当に私のプチ断食歴は長く、現在になり、夕食から次の食事までの食間を16時間開けると当てはまると知りました。

実はずっと、このサイクルをやってまして、どうしても朝食では食欲が湧かなかったので、朝と昼は兼用としていました。最初の食事を取ってから夕食もしくは夜食が8時間以内取ると良いというのも最近になって目にするようになってきました。

2食というサイクルだと、自然とそういう流れになっていくもので、これも自然な形で当てはまっておりました。

三食を当たり前にしてる人にとっては耐えられない空腹がありますが、慣れると腹がそんなに空かなくなるんですね。

合間にコーヒーや軽食を最近ははさむこともあるので、8時間に食事が集中するという流れになります。

周りから言われて3食にしたときは眠気が凄かった

よく一般的にいう、朝食→おやつ→昼食→おやつ→夕食のようにしたら、眠かったり、だるくなったりしたので、すぐに2食に戻したのを覚えています。

食べる量も多くなってしまったり、実質の経費もかかりますし、2食のときよりも食事は美味しく感じませんでした。

私にとってはメリットはありませんでした。これを進めた人がなぜ病院の常連になっているのか?不思議で仕方なかったのですが、今は食べすぎると良くないという理論も増えてきたので、ようやく証明されだしてきています。

睡眠時間も一日一食の人はナポレオンと変わらないようで、食べないほど睡眠も発生しないようです。それだけ消化にエネルギーが必要というわけですね。

難行苦行の断食は厳しいし、さすがに危険も伴う

長期の断食をして帰ってこれたらという修行も遠い昔にあり、そのまま即身仏になってしまうケースも多かったのです。

聞いた話しでは、断食を長期でやった亡骸は腐りにくいとう話しで、例えば植物などは、無肥料無農薬で栽培されたものは腐りにくいです。肥やしが多いものほど早く腐敗するという特徴があります。

回教において「ラマダン」という日の出から日没までの断食を月単位でやる習慣があり、日没後は飲み食いを沢山します。

私はやりたくてやった訳じゃないですけど、山で遭難したことがあり、1日以上でしたが飲み食い出来なかったことがありました。

限界を超えたところから飲み食いに対しての渇望が異次元のレベルで発動し、そのことしかイメージできなくなりました。苦しいまでの飲食に対する渇望で、プチ断食でも軽めのものが出るときがあり、食事も3食の時の数倍美味しく感じることもあります。

無事に下山し、真夜中にやっていたコンビニに、暴走族が集会をやっていたことも目に入らない勢いで、めい一杯の食事を買ってかきこんだのを覚えています。

これを意識的にコントロールするのが断食なのですが、通常ではあり得ないほどの脳内物質どでも言うんでしょうか、人間の本能、見てはいけないものを発動させてしまったように思います。

もしかしたら、断食後の食事などの極限の旨さも、プチ断食を継続してる可能性があります。

たしかに基本的には風邪すらひきませんが、おそらく健康的な知識よりも、そっちの原体験や体が自然と欲してるリズムのほうが続けてるような気がしてます。

正月の暴飲暴食であっと言う間にインフルエンザ

限界以上に食べすぎた際に免疫が通常の半分まで下がるようなことを聞いたことがありましたが、暴飲暴食を羽目を外してやり、しゃっくりが止まらなくなり、だるくて頭痛が出てインフルエンザにかかりました。

体験上、これは何度もあり、焼肉の食べ放題から戻ると40度の高熱を出したこともあります。

プチ断食を継続しているときには無いことだったんです。

本当は一日一食でも、食費もさらにかからなくなるので、やりたいと思っていたのですが、3食の人が2食に移行できないように、偶然そうなった以外は難しいです。。

断食は運気を上げる?運気を貯める?

断食と火事場のくそ力の原理に共通点があるような気がしています。火事場のくそ力は限界まで「どん底」に追い込まれて発動する奇跡でもあるのですが、意識的に起こす場合が断食であるのかな?とも考えています。

「どん底」も色々あり、長いスパンでの、どん底や緊急な「どん底」があります。自分が原因で悪くなったこともあるのですが、緊急時は特にピンチ感が半端ないと思います。

鍵を閉じ込める事態になったときに、遠かったのもあり、そのときの人脈では助けが来なかったんですね。金も持ち合わせがなく、保険を使うという方法を知らなかったので、途方に暮れてしまいました。

そのときは「あんなに協力してやったのに」のように恨み節も出たりしました。

ところが数時間経つと、忘れていた人脈から連絡がかかってきました。あまり親しくも無かったので期待してなかったのですが、落ち着くように言われ、わざわざ来てくれて、道具を使って開けてくれました。奇跡が起こったのです。

人間忘れるものですけど、緊急を要する場合は助けにいかないという気持ちが芽生えました。遊びに行くときや頼みごとには熱心な人脈は多かったですが、普段では目に見えてこない部分が鮮明になったり、自分はピンチ度を聞いたら助けに動かないとという芽生えというんでしょうか、そんなことが断食からも見えてきます。

断食とは食べて飲めることへの感謝と貧困で困ってる人の気持ちを知ることになる

災害が増えてますが、体験することと見聞きするだけとでは全く違います。インフラがないことなどが、どれほど大変であるかを体験していないと実は分からないんですね。

体験してないんだから仕方ない話しなんですけど、紛れもなく体験するということはまったく深みが違ってきて、必ず未来が大きく開けると確信していただきたく思います。

実は一番、不幸なのはシェルターに守られてなんでも与えられて一切の困難がなく努力も必要が無い状態を当たり前と思ってることなんです。最後のほうで困難がやってきたときに、実は自分だけでは何一つも解決できないということを知ることになり、誰も周りに残っていないという場合も多いんですね。

そうなったら絶望しかないので、もし、何も不便がないなら、あえて不便を体験すると良いかもしれないのです。

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