手放した方がよい勘違いしやすい思考や習慣

自分ちゃん

本人だけの自己満足だけで終わったり、損失が多いような事柄を自分のポリシーのレベルにまで高めてしまっているケースというものがあり、そんな中でも数例を取って考察しみました。

「誕生日をアピール」のケースでは、過去に自分が先輩から呼び出された日が自分の誕生日で懇々と叱咤激励をされる中、話の流れで歳を確認され丁度誕生日であると回答したら、「悪かったな誕生日に。。」と言ってコンビニで何でも好きな物を買って良いという流れが起きて、そういうものなのかな?

という経験から、今度は自分が関わった人物で誕生日をアピールしてきた人物に食事を御馳走しプレゼントを渡しました。

最初は、そういう記念日にやり取りするのも一つのコミュニケーションだなと思っていたんですが、自分の番になってみると、ひたすら話題をそらして無視する流れを作って、けっきょくは祝ってもらうことがありませんでした。

たまたまその人物だけがそうなら変わり者で済むのですが、似たようなケースがその後も別にあり、目を広げてみるとネットの世界だと分かりやすいのですが、多いんだなと思いました。

自分だけ祝ってもらたい症候群のような人が一定数いるんだと分かりました。

小さなコミュニティ内でやる分には知りませんが、アピールするならば100人は祝ってからやっと一回、「実は誕生日なんですけど。。。」くらいが丁度いいんじゃないか?って思ってしまいます。

そもそもアピールする必要も無いし、等価交換のような関係性を常識的に持ち合わせてる間柄では、ただの一回もアピールして、なんとしても祝わせるような強行をし、逆は知らん顔というのは無かったです。

違和感が自分は強いんですけど、けっこうあるのが現実です。

貧乏自慢と不幸自慢

貧乏の経験も不幸な経験も経験としては、そこを通して色々な意味があるので一概には悪いとは思わないのですが、ポリシーとして相手を洗脳するくらいのレベル高まっていたら危険だと思います。

「ジーパンの両膝が破れても履いてるのワイルドだろ~」、たしかにワイルドなんだけど、それを見た他人は違うことをそこから連想します。

本人は物を大切に使い倒してるくらいのポリシーで、それが美しいと思っていたりするのですが、悪印象を特に知らない店の人とか第一印象の場合にホームレスなんじゃないか?という連想を抱くのです。

洗濯もせず、風呂に入らず鼻毛も髪の毛も伸ばし放題だった人物がいて、実際はボンボン生活を送っていた人物でしたけど、裏では完全なるホームレスとしての異名を獲得していました。

見かねて指導したことが何度もありましたけど、こういうのって本人が、真実の姿がどう印象づけられているのかを俯瞰でき、それがどれだけの損失を生んでいたのかを心底わからないと変われないもんなんだと思いました。

そして「不幸自慢」、これは自分にも当てはまったケースなんですが、自分が修羅場をくぐってきたかのような価値観へと不運を昇華してしまうパターンで、経験はそれぞれなんで、個人個人が体験していることは全部、「魂の修行」であるのですが、相手に対して「甘い」と思うと修行が足りないと感じ、まさに艱難辛苦をもっと受けたほうがいいようなアドバイスをしてしまうとかの勘違いです。

幸運も不運も個人で変わりますし、感じ方でもだいぶ変わってきて、魂のレベルの高い人は不運そのものが少ないです。それは自分が原因で作り出す不運が少なくなるからです。

車でいうところの自損事故ですが、魂のレベルが低いと自分が悪くても他事のせいにして自分が変わろうとならないため、ずっと同じようなサイクルの不運を根底から分かるまで繰り返すことになります。

パチンコを打って借金した人がパチンコ屋が悪いとか貸金のせいにし、最後は周りを利用しようとし、叶わないと逆恨みするようなケースも分かりやすいです。

こういったパターンは全て手放したほうが、けっきょくは自分が幸運となり得をし、印象まで良くなるという次元へと移行するので、どこが鍵かを俯瞰してみて改善に当たるが良いと思います。

自分の意志を上げるのが大事なのと、「斎藤一人さん」のような人の話を聴いていると、だんだんと癖が氷が溶けるように無くなっていくのが実感できると思います。

【斎藤一人】考え方を変えて、言う言葉を変えると起きる現象が変わる。