年齢で引退するまで生き残った飲食店の手法と軌跡

都心から離れ、丁度、ドーナツ化現象を起こしたベッドタウンで開業した飲食店があり、蕎麦と天ぷら、鍋物などを中心にしていた店がありました。

時期的には、東京五輪後で、当時の日本の景気はアメリカを追い越さんばかりの日の出の勢いでした。

ベッドタウン造成期と時期が重なり、現代の飽和した数の飲食店と違って、飲食店が足りなく完全に需要と供給のバランスにおいて、圧倒的に需要が発生しました。

道路と駅の開発に始まり、役所などが集まる場所で、当時としては一等地に当たる立地での開業と言えます。

それから、当時は出前も最先端の手法で、当時では最新の設備、今でいうタワーマンションにあたる団地群が造成され、爆発的に人口も増えました。

そして今と違うのは高齢者が少なかった上に、若いファミリー層や会社の寮も無数にあった点です。そして、給与水準がうなぎ登りで共働き、外食がレジャーと時短の両方を満たす存在でした。

節約するよりも、共働きで外食した方が収入が多いので、コスパが良かったのです。

高度成長経済の波、圧倒的な需要、最先端の先行者利益の独占、爆発的な人口増、勢いのあるロングで顧客が約束される世代が中心、全ての追い風の条件が揃いました。

今では飲食業は廃業のオンパレードですが、社会保障を抜きにしていえば、月収100万も珍しい話ではなかったのです。

こだわりの製法で、立地も良く、暖簾を上げれば行列です。そんなこんなで、右肩上がりで贅沢な生活も手に入れ、子供も有名私立に通わせても痛くない経済的な安定を保っていました。

しかし、バブル崩壊で、投資での逆噴射、連帯保証人、脱税、一気に波が押し寄せて、御殿を競売にかけられ、賃貸物件に越すことになりました。

しかし、そこでは今までの成功した手法や、こだわりが通用しませんでした。

幸いにして、私立を出た子供が成功し、そこからの援助もあって、再度の引っ越しで建て直そうとしましたが、引っ越した直後に奥さんが交通事故で帰らぬ人に。。

保険金で店舗付きの物件を新たに手にし、さらに宝くじで一等を当てるこになり、店舗が賃貸物件ビルにまでなりました。

そこで賃貸収益を確保しながら、店を続けましたが、押し寄せる波が根本から店の経営方針を変えました。

すでに店は閑古鳥で価格を下げようがどうしようもなくなりました。時代がもう求めなくなったのです。

そして、コストを大幅に下げる戦略をします。

蕎麦屋をラーメン屋兼居酒屋に変更し、麺を乾麺の激安の冷や麦にしたのです。良く考えたら繁盛してる店と違って、出ないラーメンをやるには一番良い保存法で劣化もしないですし、固ゆでにすると豚骨ラーメンの麺にそっくりでした。

豚骨を強火で三日とか煮込むとガス代など光熱費がすごいし、ゴミ処理代もかかりますが、豚のスジ肉を煮たスープが美味しい豚骨そっくりで、脂がチャッチャ系のコクを感じさせました。

そこに和風出汁科学調味料を配合した激安の組み合わせで、豚のスジ肉をトロトロの角煮状にしゴロゴロと乗せたものがコスパ良く感じられたようです。

めちゃくちゃに下げたコストで家賃収入まで発生しました。客がいないとランニングコストで赤字になるのですが、工夫で経費負担が無くでなりました。

なぜなら店に住み込んで他の部屋を賃貸にしていたためです。

客がゼロにならない限り、維持できる体制まで削減しましたが、コロナの前年に客が0の日がポツポツと出たので、年内に引退を決めました。

その翌年にコロナが蔓延、まさに危機一髪で引退できたのかもしれません。

家賃、人件費、光熱費、材料費、全てをクリアしたシステムを構築してもタイミングが悪いと店が運営できません。

仮に好循環の時代にそこをクリアしていたら、とんでもないパフォーマンスを叩き出していたことになります。