幸せや満足度の充足感は落差が大きいほど感じる 

幸福感を得にくい精神のループ

幸せや満足度の感じ方で、色々なタイプがいます。

①愚痴や不満が多く不幸だといつもネガティブで「ため息」をついてるタイプ

②常に怒っていてイライラしており自分のルールに合わないことには怒り続けるタイプ

③常に欲しいものがあるが手に入れると「想像と違った」のように、際限なく求めるが満足できないタイプ

上記のループにいる間は幸福感や満足感というものは極めて少ない精神状態と言えます。

私も以前にはこういった症状を、ギャンブル依存症でも発症しましたし、買い物依存症でも発症しました。まさに際限がなく求めても満足感はないし、手に入れても本当に幸福と言えるような感覚でもなかったのを覚えています。

意識的に満足度を上げるやり方がある

常に食べて飲んでる状態では、それが当たり前になり食べるのが苦しいというような非常にもったいないことをするものですが、半日、食事を取らないと渇望状態がでてきて、飲み物は数時間でもきますので、その後の飲食というのは素晴らしく美味しく感じますし、心の底から満足できたりします。

よくイスラム世界では戒律で、こういった断食の状態を「ラマダーン」という期間を設けて行います。一カ月間あり、日の出から日没まで飲食を絶ちます。喫煙や性行為、言葉も慎むというまさに禁欲を戒律で行う訳ですね。新月から始まる特徴があります。

これね、引き寄せの法則を私も研究したりするんですけど、こういう状態って普通は不運が重なって、どん底の時期にしかできなかったりするんですけど、引き寄せという意味で、本能で渇望する段階までくると非常に引き寄せを最適化しやすいんですね、気をつけなくちゃいけないのは引き寄せの法則は悪い思考も現実化するため悪い方向へ考えないことですね。

非常な空腹感で奪ってでも手に入れたくなる妄想などをしてしまわないように気を付ける。このあたりがコントロールできると非常に深層心理や本能レベルのマインド層まで願望を刻印することが可能となるため引き寄せの最適化と相性が良いんです。

落差には限度もありますが、せめて空腹を感じたら食べる、喉が渇いたら飲むというだけでも常に満足感を感じられるようになります。飽食もよくない部分がありますので、あえて落差をつけるときも必要かもしれません。

大災害時に同じようなことが起こり、実際には連帯感が強まったり他者を助けようと思ったりするなど、幸福につながるようなことが自然に出来るようになっていくということもあります。

「足るを知る」という考え方もあり、必要以上に求めず最低限で充足を得るようなマインドにする。ミニマリストなどはこれに当てはまる感じもします。

バランスを取ることとか大事な部分は他にも沢山ありますが、満足感や幸福感を感じられないということが人生においては最も損ではないかと思っていまして、金銭的に自由を得ていたとしても当てはまるために非常に深いテーマでもあるんですが、私が突破したパターンを最後に紹介します。

満足度と幸福度のまとめ

暇潰しのような感覚で動くのは良くなくて、時間というのは一番価値があるものであるし取り戻したり修正するこも出来ないため非常に使い方と考え方とが大事となります。

時間の重要性というのがイマイチ分かってなかった頃、TVを見てゲームをしたり、暇を潰しに出かけて、何の意味もない時間を潰して「なにか面白いことないかな?」と意味もなく妄想したりして貴重な時間を浪費したりしていました。待ち合わせ一つとっても当時は時間を食いましたし、どうでも良いことを延々と話し合ったものです。

たまに深い話しをしても、けっきょく答えが見つからずに悶々とするだけでした。通勤で長距離を移動しても意味もなく車窓をみたって、車窓が珍しいのは最初だけです。とにもかくにも今よりも時間に対しての概念は軽んじられていました。

暇も、面白いことも幻想で、現在はTVすら見ませんし、トイレに座ってる状態でも昔買って読んでいなかった本を読み進めたりしてます。細かい部分まで入れると、クリックして切り替わる間も本などを読み進めるのに使います。

私の場合、本だけをじっくり座って読むということがほとんどなくスキマ時間で読んでますけど、月に数冊も読めたりします。それだけスキマ時間は膨大ですし、PC画面から本に目を移すと同じ見る動作ですが、疲れ方が減ります。

移住して副業で収入を立てていこうとチャレンジしているので、現在はPC稼働時間が大幅に増えていますし、PCを中断する時間というのはなるべく見る以外の動作をして、目が一日持つようにしています。

中断してる時間も単に休憩するというんじゃなく、食事とか風呂とか掃除であるとか運動であるとか全て線でタスクをこなせるようにしているため無駄がほぼ無くなっていきました。よく勘違いされて、「山の中でいつも何やってるんですか?」とか聞く人もいるんですけど、そういう人は暇を潰す感覚で生きておりあえて忙しくなるように無駄を増やしてマウントをとって優越感を感じようとしてるだけですが、幻想なんです。。。

他人が面白いものを運んで来てくれる訳でもないし、自分でスケジュールを立てて、私も必要な情報を中心に調べるだけでさえ時間が足りません。それでも朝から寝る前までやっても、終わりなき暇とは無縁の日々が続いているのです。

仮にPC作業が落ち着いてきたら、リアルなところをリサーチするのに変わるだけで、常に暇という概念とはほど遠いんですね。

暇などと感じていたときは「相手が運んできてくれる」という依存した待ちの態勢だったので、パチンコ依存症や買い物依存症というように、いったい最終的な目的地はなんなのか?というんじゃなくて、ただその瞬間の欲求を解消したいということに力点が注がれていたから失敗したんだと思います。

いま思うとですが、金銭が余ってなくてよかったなと思います。当時のマインドでは全部無駄につぎ込んで終わっていて、ずっと依存症のループから抜けてなかったと思います。

そういったことでは、どん底で頭をガツンとやられて価値観が全て変わったことは嬉しい誤算でもありました。

不運が押し寄せてくる時、一つの波と捉えます。金銭的に不自由になると、色々と工夫をしなけらばいけなくなるのですが、溺れる者ワラをも掴むっていう状況だと、元から運が悪い時期なので、ことごとく自分で選択したことが仇となる訳です。

マインドはどうなのか?健康面は?というように、マインドの醸成には時間もかかりますし、修羅場のような体験や、どん底を通しながら練成されていくので、それと知識がないために解決が出来ないなどあります。健康面は若いうちはそこまで考えない人が多いです。

落差を作れば感じ方が大きくなります、それを運を最大化させたり引き寄せを最適化させたりと、目の前の食事というよりもマインドであるとかの部分にベクトルを流し込んであげると人生そのものが大きく変化しはじめるので、それが重要と思います。

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