不運のイメージとして、大富豪から転落して貧困生活になり、そこから抜け出せなくなるケースが分かりやすいケースでもあるんですが、それでさえも、それが不運かどうか?で判断すると違うかもしれないのです。
一定の原理というものがありまして、貧困からステップアップして安定するのが一番気持ちの良い展開ではあるかと思います。
何も無いところからスタートして成功を勝ち取るというのが分かりやすいサクセスストーリーであるという価値観が存在します。
それとは逆にプライベートジェットまで所有するほどの大富豪で贅沢の限りを尽くしていたのが、急激に転落して貧困生活を送るほうがダメージは大きいのです。
スタートが貧困であれば、それは標準でもあり、ドラマとか話を聞いたりしてセレブ生活をイメージしたりするわけですが、別に富裕だからといって不運が少なく幸福であるとかは無いわけなんです。
よくあるサクセスストーリーで転落後にもっと成功するというモデルケースがありますが、現実は稀の中の稀だということです。
すごい富裕層から転落した家庭を定点観測したりしましたが、浮上していません。
まるで運気が尽きたような生活を送っています。
それでは不運の極致はというと、ずっと牢獄に繋がれて拷問を受けて、最後には処刑されるような人生だと思います。
自由を奪われ、虐待され、命までも奪われる。そして地位や名誉も無いほどにボロボロにされる。それこそが不運の極致といっても過言ではないでしょう。
しかもそれが無実の罪や濡れ衣だったとしたら。。。
そういった極致の極みからみたら、富裕だとか貧困であるとかは大したことではないと分かりますし、過去を振り返りながら実際に体験を通してみると、当時は不満だったことさえも、いかに恵まれていたかと気付かされるわけです。
運というのは忖度をしません。宇宙の法則に照らし合わせた組み合わせにより、結果へと導くストーリーが展開されます。
不運を呼び込むこととして、大凶方位への転居や、大凶方位での建築工事での長期化やら、家が損壊し大凶方位での修繕に至る流れなどがあります。
例えば転居から、本来は引っ越す予定が無いのに、そこの場所へ引っ越すストーリーが起こります。
不幸な結果が発生するのがゴール地点であれば、引っ越し費用から物件の選定から神がかり的にスムーズに行ったりします。
一つ言えるのは建築も修繕も富裕だからこそ、すぐに取り掛かることが可能となります。
ところがかなりの貧困だったとしたら、気持ちではやりたいのに、物理的に決行することが出来なくなります。
そうして見た時には、これはラッキーであったということが言えます。修繕や転居での不運のレベルは最悪は亡くなったり、障害を負うほどの事故や病気、もしくは破産や訴訟などのレベルを差します。
貧困であったがゆえに不幸を招くストーリーの発生を解除できたことになります。
単なるストーリーの流れに任せるとバクチですので、ロングスパンで生き延びた時間を学習に充てて、本気で運気の勉強をし、狙って調整するしかありません。
はっきり言うと、勉強して知識があっても急激なストーリーが発生すると悪い方向に流されますので、毅然と理論の上から正しいのか判断しないといけません。
富裕層になったばかりに人災から亡くなってしまう方もいます。富裕だとアクティブに行動できますから、押しにどうしても弱くなるのです。決定的に貧困という理由があると、断る諦める選択肢しか存在しない場面も多いからです。
もうひとつ原理があって、富裕の時の人脈は金と共にあっけなく去ります。寄ってきてたのは得をしたい人がほとんどだったためです。
結婚もそうで、大変な時期に結婚した場合は離婚をしにくいとかあります。
それでも人は分かりませんけど、少なくとも、金で寄ってきた人脈ではないということが重要です。
不運のストーリーは、貧困から一攫千金の宝くじに当たり、それが原因で亡くなってしまうようなケースがあります。当たってから亡くなるという結果を発生させるストーリーということです。
しっかり運の学習をして、ストーリーを抑える方法を駆使し、幸運を取りこぼさないようにする積み重ねが塵も積もれば山となるで、どんなに命式で富裕になれない運勢を持っていたとしても、ロングスパンでは良かったと思えるようになっていくという原理があります。
端的に幸福だと言えるのは、健康で気付けば周りに良い人に恵まれていて、悪かったマインドも改善されていき、だんだんと世のため人のためにも役立っているような人生になっていたら、相対的にみても幸福といえるんじゃないでしょうか。